東京フィルハーモニー交響楽団

首席トランペット奏者

川田 修一

Shuichi Kawata

1984年福島県出身。

福島県立安積高校を卒業。

国立音楽大学において矢田部賞を受賞し首席で卒業。

同大学卒業演奏会、ヤマハ新人演奏会に出演。

第78回、81回日本音楽コンクールトランペット部門入選。

第25回日本管打楽器コンクールトランペット部門第3位入賞。

第49回ドイツ・マルクノイキルヒェン国際コンクール ディプロマ賞授与。

文化庁新進芸術家海外研修員としてドイツ・カールスルーエ音大にて研修を行う。

2017年、文化庁主催コンサート「明日を担う音楽家達」においてG.F.テレマンの協奏曲を新日フィルと共演。

トランペットを北村源三、熊谷仁士、山本英助、ヒロ野口、ラインホルト・フリードリッヒの各氏に師事。

Brass Ensemble ZERO、Quartet Made in FUKUSHIMA、Le Due Trombe、金管合奏団「宴」のメンバー。

藝大フィルハーモニア管弦楽団を経て、現在、東京フィルハーモニー交響楽団首席トランペット奏者。




・使用楽器

B♭Trumpet:Vincent Bach 180ML37GB  C Trumpet:Vincent Bach C 180L 25H GBSP
マウスピース:Vincent Bach 1C 
Rotary B♭、CTp :Schagerl Model Berlin  PiccoloTp:Schilke P5-4GP

ギャラリー



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アンケート

Q1.出身は? 
福島県須賀川市出身
Q2.血液型は? 
A型
Q3.星座は? 
かに座
Q4.好きな食べ物は? 
カレー、寿司、お肉
Q5.嫌いな食べ物は? 
ほとんど食べます。なし!
Q6.趣味は? 
映画鑑賞
Q7.周りからなんて呼ばれてる?
しゅうちゃん、かわちゃん、川田
Q8.休日は何してる? 
子供と遊んでます
Q9.1ヶ月休みがあったら何をする?
海外旅行に行きたい!
Q10.よく行くスポットは? 
新宿
Q12.カラオケの18番は?
カラオケ苦手です。
Q13.宝くじで100万円当たりました。どうする?
家族で海外旅行で豪遊
Q14.楽器歴何年目?
24年
Q15.オケ歴何年目? 
5年
Q16.好きな作曲家は?
J.S. Bach
Q18.好きなクラシックの曲は? 
Ravel Piano Concert in G の2楽章
Q19.本番前はどう過ごす? 
みんなと喋ったり、ゆっくりしたり、割とのんびりしてます。
Q20.本番前はご飯を食べる?食べない? 
食べないことが多い

Q21.本番が終わりました。飲む?飲まない?
飲まない
Q22.生まれ変わりました。次はどんな仕事をしてみたい? 
やっぱりまた音楽家かなー
Q23.自分の楽器以外で演奏してみたい楽器は?
声楽家
Q24.住んでみたい国は?
オーストリア、オランダ
Q25.好きなオーケストラは? 
ウィーンフィル、ベルリンフィル
Q26.憧れの音楽家は?
ラインホルト・フリードリッヒ
Q27.演奏会当日、緊張する?しない? 
すごい緊張します
Q28.演奏会でのハプニングや失敗談はある? 
たくさん。。反省ばかり。でもいちいち気にしてたら前に進めないので、都合の悪いことには鈍感に笑
Q29.思い出の本番は? 
最近だと東フィル&バティストーニの春祭
Q30.好きな指揮者は? 
バーンスタイン、カラヤン、アバド
Q31.指揮者の解釈が納得いきません。どうする? 
うふふ
Q32.指揮者が指揮を振り間違えました。どうする? 
うふふ
Q33.本番中、客席に美人、またはイケメンを見つけてしまいました。どうする? 
うふふ
Q34.音楽家として気をつけていることは? 
心と体の健康第一
Q35.所属するオケはどんなオケ?
歴史を背負いながら新しいことにチャレンジする
Q36.明日世界が終わります。どうする? 
家族とゆっくり
Q37.音楽ファンに一言。
一緒に音楽を楽しみましょう〜



インタビュー

川田さんとの出会いは、私の大学オケの先輩の高校時代の後輩が川田さんということで紹介していただきました。

初めて川田さんの演奏を聴いたのはブラスアンサンブルゼロの演奏会で、ものすごく長くてキツそうなプログラムを最後まで美しい音色で吹かれていたというのが印象でした。

 

インタビューはオーチャードホールでの演奏会の後、ホール下のカフェで行いました。穏やかな声でゆっくりと3時間近く興味深く面白い話をしていただきました。今までの中でたぶん最長です。ここでは書けない話もたくさんあり残念ですが、楽器を演奏されている方にはとてもためになる話ばかりです。ぜひ読んでください!


 

2018年4月22日 オーチャードホールにて

 

まず初めに楽器を始めたきっかけを教えてください。

 

楽器を始めたのは小学校3年生の時ですかね。最初はサッカー部に入っていたんですよ。でも全然できなくて、サッカーの練習をしていた隣でマーチングバンドの練習をしていて、かっこいいなーと思って入ったのが最初です。それは特設マーチングバンドでした。

 

最初は打楽器がやりたくて4つ太鼓があるクオードに憧れて応募したら、まず身長が足りない、楽器が重いから持てませんって言われて。体が小さくても吹けるでしょ?みたいな感じで、気づいたらラッパになっていました。B管がA管に見えるぐらい僕は体が小さかったんです。だから自分からっていうよりは、先生が勝手にトランペットに割り振ったのがきっかけでしたね。

 

どのような活動をされていましたか?

 

部活に入った時に福島国体っていうのがあって、その国体でお披露目するために作られたんだと思います。
結構市からお金が出てたと思うんですよ。だからいきなりドカンとたくさん学校が楽器を買ってマーチングバンドを作ったのかな?一番安い楽器を持たされたと思うんですよ、あんまり覚えてないですけど。でもそれを吹いたら結構吹けちゃって、それが最初の勘違いと言うか(笑)

 

大会に出るようになってから、僕らが6年生の時に初めて東北大会に出たんですよ。その次の学年が全国に出るようになって、結構力を入れてたんですよね。

 

講師の先生とかも来ていましたか?

 

マーチングの型を指導してくれる先生とか、楽器を教える先生も来てくれていました。でも片田舎だから全部の楽器の先生は来なくて完全に自己流でした。

 

中学に入ってからも吹奏楽部に?

 

そうそう!小学校の時に一緒に楽器をやってた同級生とCDを買って、カセットにダビングしてそれを貸し借りしてました。今考えるとマニアックだったのかなと思いますけど。みんな音楽が好きで中学校でも楽器を続けました。

 

それで小6か中1か忘れたけど、郡山のジュニアオケにも入ったんですよ。それからオーケストラが好きになって、最初に買ったCDはチェコフィル、ノイマンの新世界!それはおばさんに買ってもらった記憶があります。日曜日はジュニアオケに行って、平日は中学校の吹奏楽部で吹いていました。


吹奏楽部は県大会に行っても、銅賞か良くて銀賞しか取れない弱小バンドでした。でも僕の恩師である顧問の先生がすごくいい先生で、例えばフランクフルト放送響・インバル指揮のマラ5のビデオを持ってきて見せてくれたんです。

他にはN響の昔の金10のビデオを持ってきたりとめちゃくちゃマニアックな先生でした。だから僕は吹奏楽の曲は全然知らなかったけど、オケとかブラスアンサンブルには興味が湧いたんですよ。大会にはあまり興味がなくて、楽器を楽しく吹いてい

る感じでしたね。

 

町の近所のCD屋さんや郡山に大きいCD屋さんがあったんだけど、同級生とジュニアオケの帰りに寄ってクラシックのコーナーを漁ってました。CDを聴いて耳から入ってた感じですね。今考えるとそれが僕のきっかけというか、一番大事な時期だったのかなと思います。

 

ジュニアオケではどんな曲を演奏しましたか?

 

最初はドヴォルザークの新世界でした。たぶん新世界をやるってなっておばさんがCDを買ってくれたんだと思います。あとはチャイコフスキーのイタリア奇想曲、ピーターと狼とかそういう可愛い曲をやったり、チャイコフスキーの交響曲もやったかな?他にもロザムンデとか魔弾の射手とか結構スタンダードなものをやりました。

 

どういう編成で演奏されたんですか?

 

みんなウェルカムな感じのオーケストラだったので、ある時は弦楽器1プルトずつで金管だけ十何人いるみたいな練習もありました。本番はちゃんとみんな集めてくるんですけど。基本的に小学校4年生ぐらいから募集してて、一番上は高校3年生まで。

 

そこで指揮をしていた佐藤守廣先生が僕のもう一人の恩師の先生なんですが、その先生がものすごく熱い先生でして。武蔵野音大のチューバ専攻を出てフリーランスでやってたけど、郡山に戻ってきて学校の先生になって情熱を持って僕らを指導してくれていました。

 

学校の先生が指揮をされていたのですか?

 

基本的にジュニアオケは郡山の教員の方々が運営していました。福島にはもう一つジュニアオケがあって、福島市にFTVジュニアオケというのがあるんです。 FTVという放送局がお金を出しているオケなので、お金持ちですごくちゃんとしているオケでした。海外公演とかもやるし。郡山の方はお金もないし財政難だけど、情熱あふれる先生方に囲まれて僕達は音楽が好きで好きで仕方なくなりました

 

その頃はトランペットは結構吹けたのですか?

 

うん、吹けないです。そこまでは上手ではなかったですね。でも音のイメージがあるので「音綺麗だね」とか「いい音してるね」とか言われたけどテクニックは全然なくて。専門の先生に習ってなかったし、練習の仕方も知らなくて基礎練とかもよく分からなかったです。

 

高校でも吹奏楽部に?

 

安積(あさか)高校って言って男子校だったんですけど、男だけだったのは僕の代で最後だったんです。中学生の時にすごく男子校に憧れて。チャレンジという教材があったじゃないですか?そこに男子校は体育祭が盛り上がるとか、一体感があるって書いてあって入りたいなと思ったんです。吹奏楽部の定期演奏会もめっちゃ面白いんですよ。大会というよりかは定期演奏会に力を入れている感じです。それを聞いてさらに入りたくなって、中学2年の時はD判定だったけど頑張って勉強してなんとか入りました。

 

高校1年の夏に、将来自分はどうしていきたいんだろうと考えはじめたんです。成績も上がってきたけど勉強はつまらないなと思って、音楽は好きだし音大とかはどうなんだろう?って思い始めて、音大に入るためには何が必要なのかを調べました。進学校だったので先生達が音大についての知識がなくて、「音大に行きたいんですけど」って言っても自分で調べてくださいって言われてしまって。そうしたらピアノとソルフェージュと新曲視唱とか色々必要だってことが分かって、そこから習うようになりました。

 

トランペットはどうされたのですか?

 

トランペットで進もうと決めて、その第一歩は高校1年の冬に国立音大の冬期講習に行ったことです。
地元にある楽器屋の社長さんが、僕に元N響の北村源三先生の話をよくしてくれていて、北村源三先生っていうすごい人がいるんだというのが頭の片隅にあったんです。調べたら国立音大の講習会だったら先生が教えているということで、先生に習いたいと思って講習会に行きました。講習会が終わる時に先生に「習いたいんです」と言ったら、「いいよ」って言われて家の住所と地図をもらいました。そして高1の1月から先生に月1で習い始めました。

 

ここからが面白いんですけど、3回くらいレッスンを受けた頃かな?僕も教える立場になったから分かるけど、一回レッスンをしたらその人の性格とか色々分かるんですよね。 当時、僕は唇の右側にマウスピースを当てて吹いていて、すごく力も入って吹いてたと思うんだけど、まず先生にマウスピースを当てる位置を直しなさいって言われて真ん中で吹くようにしたんです。そしたら通算2年半ぐらい思うように吹けなくなっちゃって。

 

先生の所に行って「ソ」の音だけ吹くんですよ。何回「ソ」を吹いても「違う!違う!」と。そういうのが半年ぐらい続いたかな?出していいのは「ソ」だけ。学校の部活を続けていたら専門の練習にならならないからやめなさいとも言われて、幽霊部員になりました。でも安積高校の良かったところは、幽霊部員になっても部屋を使わせてくれたことでそれはすごく助かりました

 

先生に習って半年くらい経ったけれど、一向に上達しませんでした。ある時、レッスンのはじめにパーンと音を出したら、全然違うと言われて。すごく怖かったし、色々聞かれてもテンパっちゃって、全然喋れなくて意思の疎通ができなかったんです。そうしたら、君は生き方が間違っていると言われちゃって。。。人の話をちゃんと聞きなさいと。その時は本当に辛かったです。

 

「もうレッスンに来なくていいから」、「楽器も向いてないからやめなさい」って言われて、帰り道も覚えてないくらい落ち込みました。その後2、3ヶ月は行かなかったけど、やっぱり音楽を続けたいと思ってもう1回レッスンしてもらいたいですって電話でお願いしてレッスンを再開しました。その後ちょっと吹けるようになってきたんだけど、 上の「ソ」ぐらいでキツくて。受験では2オクターブ必要だから、全然うまくいかなくて浪人しました。

 

高校の頃はジュニアオケはやっていましたか?

 

やってました。高校3年生の時にジュニアオケでオーストラリアに演奏旅行に行くことがあって、有名なオペラハウスで演奏できるチャンスがあったんです。ジャパニーズフェスティバルと言ったかな?そんな催し物演奏できる機会があったんだけど、ちょうど奏法を直してて僕はオペラハウスでトランペットを吹かずに管弦楽のためのラプソディで拍子木と大太鼓を担当しました。

 

別の機会にファンファーレを吹くことがあったんだけど、ジュニアオケの先生が僕が高い音が出ないことを知っていて、僕のために出る音域の楽譜を書いてくれてそれを吹いたというのを覚えています。

 

その後、浪人して1年間はどういう生活でしたか?

 

昼間に練習をして、夕方からアルバイトでした。

 

練習はどこでされていたのですか?

 

須賀川文化センターの練習室を結構借りましたね。練習室といえば本当に有難い話なんですが、ピアノの先生の発表会の時にトランペットを吹く機会があって、とある女性が僕の演奏に感動してくれて僕にトランペットを習いたいと連絡をくださったんです。僕が練習場所に困ってるっていう話をしたら、練習場所を提供するから私のレッスンをしてくださいって言ってくださったんです。市民会館の一室を借りてくれて30分くらいレッスンをして、その後の3時間くらいは好きに使ってくださいと。今でも本当に感謝しています。

 

その頃もトランペットのレッスンには行ってましたか?

 

東京には月1で行ってて、色々吹くんだけどなかなか思うようにいかないんですよね。「音はすごく良いから、国立音大の曲だけじゃなくて藝大も受けてみたら?」って先生に言われたのはすごく励みになりました。藝大に受かったら親孝行にもなると思いましたし。

 

一年目は藝大だけ受けたのかな?それで見事一次で落ちて(笑)うんともすんとも。浪人して2回目の受験の時も藝大は1次で落ちました。全然思うようにいかなくて。それで北村先生に藝大落ちましたって電話したんです。そうしたら、先生が「お前の演奏の良さを分からないような大学には行かなくていいよ」って言ってくださったんです。本当にこの言葉は励みになりました。

 

そして国立音大を受験して、なんとか引っかかって受かりました。その頃は頭の中には音楽はあったけど、技術や奏法が整わないっていうのがずっと続いていました。

 

東京に来て最初の頃はどうでしたか?

 

「うわー!音大って女の子ばっかり!」みたいな感じでした。男子校から行ったから、「みんなスカート短い!」みたいな(笑)

 

大学に入る前に北村先生に言われたことがあって、常に高い音、低い音、大きい音、小さい音、どんどん自分のレンジを広げなさい、できることを増やしなさいと。そして常に毎日練習が終わった時に、今日は満足いく練習ができたかどうか自分に問いなさいと。卒業した時に仕事がなかったらどうするんだ?って、自分にとにかく問いなさい。1日1日を大切にしろということを言われました。

 

国立音大って当時は廊下で楽器を吹けたんですけど、先生からは廊下では練習するなって言われたんです。聞こえないところで自分の音なんか分からないんだから、練習室とかで吹くようにしろと。それが分かっていたこともあって、国立音大のすごく近くのアパートを借りて、毎日授業以外の時は家に帰って練習をしていました。注意深く自分の音を聞いて。

 

アパートでトランペットを吹けたのですね。

 

本当は朝9時から夜9時までだったけど、夜11時ぐらいまで練習してまいした。特に苦情は来なかったです(笑)

大学時代はがむしゃらに練習をしてたけど、友達とも遊んだしバランスよく自分の中ではやってたなと思います。恋愛ももちろんしたし、友達と朝までゲームもやりました。でも練習する時は本当に集中して、スピーカーで好きな奏者の音を流しながら練習をしたりもしました。

 

大学に入って大変だったことありますか?

 

大学1年、2年の時はまだ奏法が安定していなかったけど、ブラスやオーケストラの授業もやらなければいけなかったし、結構忙しかったから無理して吹いていたと思います。その時も実は基礎練ってどうやっていいか分からなくて、アーバンとか教本はさらったけど、アパッチュアとかアンブシュアとかについてもどうしていいか分からなくてすごく悩んでいました。

 

それらが解決したのはいつ頃ですか?

 

奏法が固まったのは留学してからなので結構最近です(笑) でもイメージが自分の中にあったので、イメージを元に吹くようにはしていました。 基礎練をちゃんと分かってやり始めたのは留学する前くらいからです。だから3年前くらいかな?割と最近だね(笑)こういう練習をしたらこうなるってのが分かったのは最近で、基礎練はしてたと思うけどちゃんと理解できてなかったかな?

 

大学の時は仕事はされてましたか?

 

大学2年生の時からブライダルの仕事をしてました。一回4、5000円ぐらいで、土日に行ったりしてお小遣い稼ぎをしてました。普通のアルバイトをしちゃうとやっぱり練習する時間がなくなっちゃうから、絶対バイトは楽器に関係あることをやろうと思っていました。とにかく大学時代に練習をどれだけするかっていうのをすごく自分の中で大事にしていたので。

 

あと在学中にオケのエキストラの仕事が来なかったらやめようと思っていました。そのために何とかしてオケに入ってる先輩とかにコミュニケーションをとって、デュエットしてもらったりもしました。どれだけ上手くてもコミュニケーションがとれないと絶対呼んでもらえないですからね。オケに入っている先輩が来たら必ずコーヒーを出して、「デュエットしてください!」って言って吹いてもらっていました。

 

大学3年の時に初めてコンクールに出て賞をもらったのかな。卒業してすぐの時の日本管打楽器コンクールで3位をとった時に、「僕でも仕事をしていいんだ、楽器を吹いていいんだ」と思ったんです。大学を一応首席で卒業したけど、それで特に仕事が来るわけではないですし。その次の年に日本音楽コンクールがあってそこで入選して、「案外評価されたんだ、僕でも楽器を続けていいんだ」と思いました。

 

在学中もオケの仕事はしてましたか?

 

ちょこっとかな。大学4年の時に東響のアイーダのバンダの仕事をしたりして、それが大学卒業直前かな?その辺からだんだん仕事が増えてきて、管打楽器コンクールで入賞してそこで知名度が上がったので少しずつ仕事が増えてきたという感じでした。

 

卒業してからはフリーランスに?

 

そうですね、オケのトラをやったり自主公演をしたり、ブライダルもやりました。

卒業してすぐはバーミヤンの厨房にいました。絶対アルバイトをしないと食っていけなかったから、家の近所のバーミヤンで働きました。朝から昼2時半ぐらいまで仕事して、まかないを食べて帰る感じです。でもすごく疲れるんですよね。だから夕方から練習しようと思ってもできなくて、その時は「何やってるんだろう俺、音楽やりたいんじゃないのかな」って思ったんです。

 

そういう辛い時期があって、ラッパで食えるようにならないと不幸になると思ってそこからすごく頑張りました。だからバーミヤンのバイトが踏み台になった感じはありました。左手痛かったし、鍋重いし。

 

そうしたらバイトをやめても食べていけるようになったんです。あんまりレッスンの仕事はなかったけど、 ミュージカルの仕事を結構やりました。コンクールで入賞したあとくらいにミュージカルの仕事が来たので、いきなり収入が上がってそれを結構長い間やりました。大学時代にNEWTIDE JAZZ ORCHESTRAっていうジャズオケに入ってたので、そこでいろんなジャンルのニュアンスを勉強できたから結構ミュージカルの時に役に立ったと思います。

 

金管アンサンブルもたくさんやられていますが、ブラスアンサンブルゼロはどのようにして集まったのですか?

 

実は僕以外、全員藝大生でみんな同級生かちょっと先輩後輩の集まりなんです。たまたまメンバーの大西君とあるトランペットの合宿で知り合ったんです。その時に僕のこと覚えていてくれて、メンバーを決める時に僕を入れてくれました。最初は何でここに僕が?って思ってたけど、すごく嬉しかったです。みんな上手いから、本当にいつも楽しくて。

 

その後は藝大フィルに入られたのですよね?

 

藝大フィルには2013年3月から、2017年の4月の終わりまでいました。

 

藝大フィルに入られたきっかけは何ですか?

 

藝大フィルが作られた経緯というのが、すごく上手だけどポストがない藝大卒業生のために仕事ができる場を作ろうっていう理由でできたそうです。結構閉鎖的で藝大生が多いんですけど、元N響の栃本さんが准教授になられて「こういうのがあるから受けない?」って僕にも話をしてくれて、それで受けたのがきっかけです。

 

藝大フィルではどのような活動をされましたか?

 

年に2回の定期演奏会、学校の内部の演奏会で演奏したり、モーニングコンサートって言って優秀な学生のソリストの伴奏をするのが月に3回くらいありました。藝大フィルの音は大好きでした。透明感があってしなやかな感じかな。とても室内楽的で。メンバーの人柄も皆さん良くて居心地が良かったです。

 

その後ドイツに留学されたのですよね?

 

文化庁の助成金をもらって、2016年の9月から1年間留学しました。

 

ドイツに決めたきっかけは何ですか?

 

大学を卒業して日本のコンクールで入賞出来て、国際コンクールを受けてみようと思ったんですよ。ちょうどミュンヘン国際コンクールがあって録音審査に録音を出したら合格してコンクールに行けることになりました。その時に伴奏してくれた日本人の方がラインホルト・フリードリヒ先生の奥さんの竹澤絵里子さんだったんです。そのコンクールは箸にも棒にもかからなくて一次で敗退だったんだけど、、その後もいくつか国際コンクールを受けました。

 

30歳手前ぐらい、コンクールも受けられるのはこれで最後という時に、ドイツのマルクノイキルヘンという東の方の小さな街の国際コンクールがありました。そのコンクールはマティアス・ヘフスなどが1位を取ってるコンクールで、トランペット奏者にとっては大事なコンクールなんです。そのコンクールを受けに行ったら、たまたま2次審査からフリードリヒ先生の奥さんの絵里子さんが公式伴奏者としていらっしゃるということになって、2次は伴奏してもらいました。そして2次も通過してセミファイナルの6人まで残りました。合わせの時間が結構あって絵里子さんとお話ができたんです。話の中で「留学しないの?」って聞かれて、「したいんですけど、僕子供もいるし」みたいな感じのやり取りをしたんです。その時はすでに二人子供もいたし藝大フィルにも入っていたから、全部を白紙に戻せないしお金もないしなぁと思って。留学するとしたら文化庁の助成金でももらえないとキツイかなって思ったんです。

 

そのコンクールが終わって一週間ドイツの旅をするつもりで予定を組んでいたんだけど、たまたま旅の移動中にカールスルーエを通ることになっていたんです。その街の大学でフリードリヒ先生が教えているんだけど、ちょうど僕がカールスルーエを通る日に先生が学校でレッスンしてるから「受けたら?」って言われて受けに行ったんです。絵里子さんが僕の事をフリードリヒ先生に色々話してくれていたみたいで、それでレッスンを受けてテレマンの協奏曲を吹いたんだけど、「君の演奏は好感が持てるね」と言ってくださって。そうしたら「いつ来るの?」って言われて、「えっ?行っていいんですか?」ってなって(笑)


先生のクラスはすごく入るのが難しいんだけど、僕みたいに働いていてもう1回勉強したい人のためにお金を払って先生の許可が下りれば、先生のクラスで勉強できるシステムが学校にあったんです。「それを使って奨学金ももらえれば行きます」って先生に伝えました。いろいろ準備するのに2、3年は必要で、「ちょっと準備させてください」って言ったら、「来る時は取ってあげるから」って言ってくれてすごく嬉しかったです。

 

日本に戻ってきた時に、「ちょっと待てよ、ここで2、3年待ったらお互い冷めちゃうな」と思って、急いで文化庁の助成について調べたら締め切りまであまり時間がなかったんです。急いで準備してそれでなんとかギリギリセーフで選ばれてその次の年から行けることになりました。

 

ドイツではどこに住まれたのですか?

 

カールスルーエです。ドイツの南西ですね。家は学校から歩いて30分ぐらいのところで、ちょっと遠かったから自転車を使っていました。すごくフラットな都市だから自転車移動がすごく楽でした。カールスルーエは緑豊かで田舎なんです。大学はたくさんの学科があるけれど、ラッパだけずば抜けてレベルが高いんですよ。みんなどんどんオケに入っちゃうくらい。


そのフリードリヒ先生のクラスにはアシスタントが4人いて、基礎が二人、オケスタ、バロックトランペットをそれぞれ教えてくれるんです。そしてフリードリヒ先生は基本的に音楽を教えてくれます。僕は結構暇で何もすることがなかったんだけど、一週間その先生が全員来るから午前中は4時間語学学校に毎日行って、午後は誰かしらのレッスンを受けるっていうすごく恵まれた環境でした。レッスンはエントリー制なんです。エントリー用紙に時間が書いてあって、そこの枠に自分の名前を早い者勝ちで書く。だから毎日のようにレッスンを受けて結構忙しかったですね。

 

だから旅行とかに行くってことあまりしなかったかな?とにかくトランペット漬けの1年間でした。さっき言ったみたいに僕は基礎練習が分からなかったから、そこで徹底的に基礎の練習を叩き込まれてすごく勉強になりました。

 

現地の演奏会などは聴きに行かれましたか?

 

たくさん行きました。街に州立の大きい歌劇場があって、学生はS席でもタダで聞けるんですよ。 満席じゃなかったら学生証を出せば演奏を聴けるので、そこのオペラはほとんど観ました。ドイツだからお金をそこまでかけなくても音楽を勉強できる感じでしたね。また行きたいな~。

 

言語の壁はありましたか?

 

ドイツに行くって決めて1年間、日本で毎週1回個人レッスンをドイツ人の先生にカフェで習いました。でもその1年間で勉強した内容は、ドイツで一か月くらいで終わる内容だったんです。あっちに行ったら全部ドイツ語の環境で、買い物も全部ドイツ語だし最初の方は全然喋れなくて結構つらかったですね。レッスンも全部ドイツ語だったけど、必ずレッスンでピアノがつくので、分からないところは先生の奥さんが通訳してくれました。友達もすごくたくさんいたから、ドイツ語で会話したりもして徐々に喋れるようになりましたね。

 

言語を習得したかったらその国に行くのが手っ取り早いです。すごく苦労するけど。市役所に住民票の登録に行くのに、全然通じなくて落ち込んで帰ってくるっていうのを2、3回やりましたからね。

 

留学の最後に何か発表の場などはあるのですか?

 

クラスの中で決まっていたのが、毎週水曜日の朝9時から全員の前でおさらい会があるんですよ。それの最後の発表会はありました。例えばオーディションを受ける人がいれば、その発表会の中でソロをやってオケスタをやったりとか。僕の場合は9月から留学して3月に東フィルのオーディションがあることを知ったので、要項が出た時点でその曲を発表会で何回も吹いたんです。その場には先生も必ずいるから、演奏の講評を言ってもらえました。他の生徒もめちゃくちゃ上手くて本当にすごくいい環境でした。他の学生はみんなめっちゃ上手いのに、最初の僕の紹介の時に先生が「日本でオケに入っていて、子供も二人いる川田君です」って紹介されちゃって(笑)

 

他の生徒達はみんな年下でしたか?

 

僕が当時30歳の時にみんな20歳ぐらいです。でもあっちは年功序列じゃないから、「シューイチ飲みに行こうぜ!」とか、「ビリヤード行こうぜ!」みたいに仲良く付き合ってくれました。

 

留学中に東フィルのオーディションを受けたのですね?

 

3月のオーディションは映像審査だったんです。僕が留学してからN響、読響、新日フィルのオーディションがあったんだけど、日本に帰って来れなかったから全部受けられなくて。研修中はあんまり日本に帰ってきてはダメなんですよ。帰ってきたらそのぶんお金を返さなければいけないですし。日本にいる知り合いからは「こんなにたくさんオーディションがあるのに川田は留学していて本当にもったいない、タイミング悪いよねあいつ」みたいな感じで言われました。でも東フィルだけDVD審査があるって知って、これは絶対受けなきゃと思って送ったんです。

 

帰国後のオーディションで8人に絞られてトライアル、その後2月にまた絞られて2次オーディションがありました。そして5月から11ヶ月の試用期間が終わり、今年の4月から正団員になりました。

 

オーディションは精神的にキツかったですか?

 

最後の投票が2月にあったんだけど、その前ぐらいは精神的に結構キツくて決まってすごくホッとしました。

 

正団員になって生活は変わりましたか?

 

試用期間が終わって楽になるかなと思ったけど、全然そんなことなくて相変わらず緊張してます。毎回毎回の本番が重いですね。

 

試用期間と正団員では何か違いはあるのですか?

 

東フィルの場合は特になくて、試用期間中も正規雇用なので正式に決まりましたって言うだけです。

 

そこで何か問題があれば正団員になれない場合も?

 

はい、試用期間なので。例えば演奏以外でも人間性を見るから、周りの人とうまくやっていけない人は難しいかもしれないですね。

 

東フィルでの思い出の演奏会はありますか?

 

試用期間が始まってすぐに、初めての定期演奏会がバッティストーニの春の祭典だったんだけど、あれはめちゃくちゃいい本番ですごく心に残っています。僕はピッコロトランペットを吹いたんだけど。オケも燃えたし、お客さんの反応も良かったし、CDにもなって音もすごく良いし。バッティストーニも東フィルと相性が良いと思います。彼はまだ30歳くらいで、もともとチェリストだったんだけどとにかく棒が自然なんですよね。すごく音量を出してキツいはずなのに、棒に引き出されちゃって最後まで吹ききれちゃう感じです。エネルギーがすごくて演奏家をその気にさせて持っていっちゃう。すごくポジティブですし。

 

それは演奏を聴いていても分かります。それにしても、日本のオケの中でも東フィルはものすごく忙しいオケですよね。

 

年間340公演くらいしているらしいですよ。オペラ、バレエ、シンフォニー、ゲーム音楽、映画音楽とレパートリーが多くて、
色々要求されるから修行してる感じですね。いいとこに入れたなって思います。周りの団員も、特にオペラの時なんかすごく誇りを持ってやってる感じですね。そしてみんな譜読みが本当に早い‼あと結構反応が早いオケで、指揮者の要求するテンポとかにすごく早く反応しますね。

 

入る前は東フィルの首席のトランペットの人達って「すごくタフだなぁ、絶対自分には無理だなぁ」って思ったんですけど、今ここで自分が吹いてると思うと身の引き締まる思いです。僕は自分に自信がないので本当に自分でいいのかなって言う気持ちが結構あって。一つ終わるごとにホッとすると言うか、「あー、なんかできた」みたいな感じです(笑)はっきり言って余裕はないです。以前東フィルにいた首席のお二人が本当に凄かったし、今一緒にやっている古田さんももう20年以上首席だし、そんな方達と比べられるわけだからもう諦めるしかないかなと。自分は自分のペースでというのを大事にしてますね。そうしないと潰れちゃいますから。

 

今後の目標ややりたいことなどがあれば教えてください

 

胸を張ってオケの首席ですって言えるように、もっともっと経験を積んでいくことです。自分で自分を認められるようになりたい!5、6年はかかるらしいですけど、一回レパートリーを一周できるといいですね。僕のキャリアはまだ始まったばっかりなので、一つ一つ真剣にやっていきたいです。やっぱり成功体験が大事なので、一つの本番を自分の納得いく演奏ができるようにという気持ちで。

 

最後にトランペットを吹いている学生などにアドバイスがあればお願いします。

 

自分が目標としていることがあるのであれば、そこにもう到達している人と一緒に長くいることが大事だと思っています。あとはお金をケチらないことですね。僕もそうだったけど講習会とか国際コンクールなど、とにかくお金がかかることでも自分の栄養になると思ったらしっかりお金を使うことです。あとは上手な人となるべく一緒にいること。それが夢を叶えるためには一番近道だと思います。

 

僕は学生時代はオーケストラの定期会員とかにも入っていて、なるべく演奏会にも行きました。耳で聴くことはやっぱり一番大事だと思いますので。あとは情報を沢山入れることですね。練習室にこもっていたら全然上手くならないですよ。ヒントは別のとこにあるのでどんどん外に出ること。多分、移動距離に比例します(笑)毎日刺激を何かしらゲットしてそれを練習に活かす、本番に活かすみたいな生活をしてもらえたらと思います。

 

本当にそうですね。今日はお忙しい中ありがとうございました。