Tb藤澤伸行


トロンボーン奏者

藤澤 伸行

Nobuyuki Fujisawa

 

茨城県出身
宇都宮短期大学付属高等学校音楽科卒業  関根五郎氏に師事
武蔵野音楽大学入学  クルト・プツケ    坂本辰則  各氏に師事
武蔵野音楽大学入学同年  新星日本交響楽団(現 、東京フィルハーモニー交響楽団)入団
東京ブラスアンサンブルに参加  NHK  TV  リサイタル出演  二度に渡りアメリカに演奏旅行  フィリップジョーンズブラスアンサンブルと共演
1983年  石橋メモリアルホールにおいて初めてのリサイタルを行う
1984年  NHK  FMリサイタルに出演
1986年  名古屋フィルハーモニー交響楽団入団  その後定年退団まで首席奏者を務める
トロンボーンエンジェルスを結成
名古屋音楽大学  愛知県立明和高校音楽科講師
新潟大学   金沢大学  オーケストラ  トレーナー



出演

 

Trombone Angels 20周年記念コンサート

2017/9/9(土)  18:00開演 

会場:三井住友海上しらかわホール

入場料:一般 3000円 高校生以下 2000円

(当日500円増)

 



アンケート


Q1.出身は? 

茨城県筑西市 

Q2.血液型は? 
A型
Q3.星座は? 
やぎ
Q4.好きな食べ物は? 
ステーキ
Q5.嫌いな食べ物は? 
ゲテモノ系
Q6.趣味は? 
水泳、ゴルフ、競馬
Q7.周りからなんて呼ばれてる? 
藤澤先生 
Q8.休日は何してる? 
競馬、スポーツ
Q9.1ヶ月休みがあったら何をする? 
南の島でゴルフや水泳
Q10.よく行くスポットは? 
競馬場
Q11.好きな芸能人は? 
イングリッド・バーグマン、オードリー・ヘップバーン
Q12.カラオケの18番は? 
一度も歌ったことない。カラオケが出来てから音楽家の仕事が減ったから。
Q13.宝くじで100万円当たりました。どうする? 
実際に当たった時はスピーカーを買った。
Q14.楽器歴何年目? 
トロンボーンは50年、他を含めると60年以上
Q15.オケ歴何年目? 
45年
Q16.好きな作曲家は? 
ブラームス、ラヴェル、ドビュッシー、プッチーニ、実際に会ってみて武満徹、團伊玖磨
Q17.苦手な作曲家は?その理由は? 
ソビエト時代の作曲家 不安な気持ちになるから
Q18.好きなクラシックの曲は? 
神々の黄昏
Q19.本番前はどう過ごす? 
いつも通りに過ごす

Q20.本番前はご飯を食べる?食べない? 

食べる

Q21.本番が終わりました。飲む?飲まない? 
飲む習慣はない
Q22.生まれ変わりました。次はどんな仕事をしてみたい? 
Q23.自分の楽器以外で演奏してみたい楽器は? 
チェロ
Q24.住んでみたい国は? 
日本
Q25.好きなオーケストラは? 
特別に好きなオケはないが、そのオケがお国ものや得意な曲を演奏する時は素敵ですよね
Q26.憧れの音楽家は? 
ロストロポーヴィチ、ホロヴィッツ
Q27.演奏会当日、緊張する?しない? 
する
Q28.演奏会でのハプニングや失敗談はある? 
2回ステージでスライドを落とした
Q29.思い出の本番は? 
ドイツ・バッハ・ゾリステンとヘルムート・リリングの指揮で天地創造を演奏した時
Q30.好きな指揮者は? 
C・クライバー、チェリビダッケ、ホルストシュタイン、サヴァリッシュ、尾高忠明
Q31.指揮者の解釈が納得いきません。どうする? 
練習はその通りに吹くが、本番は自分の思うように吹く
Q32.指揮者が指揮を振り間違えました。どうする? 
それは全然気にしない。誰でもミスすることはある。
Q33.本番中、客席に美人、またはイケメンを見つけてしまいました。どうする? 
時々見る。
Q34.音楽家として気を付けてることは? 
音楽を失わない。
Q35.所属していたオケはどんなオケ?
昔はあまり上手くなかったが、時に物凄い音楽を演奏することがあった(名フィル) 
Q36.明日世界が終わります。どうする? 
普通に過ごす。
Q37.音楽ファンに一言。 
音楽を楽しめる、分かるファンになってほしい。そうすれば音楽家も育ちます。


インタビュー


藤澤先生と出会ってから12年ほど経ちます。先生にはトロンボーンのレッスン以外にも人生についてや恋愛についてなどいろんな相談に乗っていただき、たくさんのアドバイスをいただきました。レッスンは終始和やかでいつも私たちを笑わせてくれながら指導していただきました。それでも音楽的な要求はとても高いもので四苦八苦しながら演奏しましたが、そのおかげで多くの知識を得ることができました。先生のレッスンを通して人間的に成長できたのは私だけではないと思います。

 

一度だけレッスンで藤澤先生に私の実家に泊まっていただいたことがありました。先生がスポーツニュースを観たいということで24時頃まで一緒にテレビを観ていたのですが、途中のガキの〇〇でヒドイ企画をやっていて先生の前で笑っていいものかすごく困ったのを今でもよく覚えています(笑)


2017年5月14日 新潟市某所にて

 

 

よろしくお願いします。最初に楽器を始めたきっかけを教えてください。

 

最初はおふくろがやっていた琴と三味線。それをずっと小さい頃からいじってて、楽器がすごく好きだったのよ。そこから自分でギターを弾き始めたり、ドラム叩いたり色々してて中学校に入って吹奏楽部に入った。そこでサックスとかフルートとかチューバとか色々やって、最後にやっていたトランペットで音高を受験したの。


それでトランペットで音高に入ったんだけど、入ってすぐにトロンボーンがその高校に誰もいなくて、誰かトロンボーンに転科する人がいればN響の偉い先生を呼んであげるよって先生が言ったの。楽器はなんでも良かったし今までたくさんやっていたので、トロンボーンはやったことないからいいかもと思って高校1年で初めてトロンボーンに変わったの。


中学の頃はいろんな楽器をやっていたのですね!


ほんとに色々、ユーフォニウムとかも。

 

それは人数が少なかったから?

 

それもあるけど大会に出るような吹奏楽部でもなかったし、1回だけ出たんだけど地区大会銅賞みたいな(笑)遊んでるような吹奏楽部だった。だからまともに曲も演奏しないくらいだったからいろんな楽器で遊んでたって感じ。

 

トランペットはどれくらい吹いていたのですか?

 

中学3年生の途中くらいからちょっとトランペットも吹いていて、それで高校どこに進学するかっていう時に、音高に進学するって決めて。何の楽器で受験するかって言ったら、その時やっていたトランペットで受験しただけ。

 

トランペットを1年足らずで音高を受験したのですね。

 

たぶん半年くらいしかやってないね、トランペットはね。

 

音高に行くことを決めたのはいつ頃ですか?

 

普通の高校にあまり行きたくなかったの。本当の話なんだけど、おふくろが占い師に見てもらったの(笑)うちの息子は遊んでばっかりだし、楽器やるのは好きだけど他に何もしない(笑)それで占い師に見てもらったら、この子は何か好きなことがあるでしょって言われて。楽器いじるのは好きだから音高だったら行きたいんじゃない?っておふくろに言われて、音高だったら楽器できるからいいねって言って。それで音高に決めて、その時たまたまやっていたのがトランペットで。

 

占いの結果で音高に入ったのですね(笑)高校に入ってからはどんな生活でしたか?

 

そこの音高はとてもマニアックで面白かったの。吹奏楽はなくてオケしかなかった。あとアンサンブルとか作曲とか、管弦楽法とか対位法とかそういうのをすごくちゃんとやる学校で、高校3年間音楽漬けだった。それが良い経験になっているね。

 

音楽以外の勉強はありましたか?

 

大学受験に必要な語学以外はほとんど何にもしてない。あとは音楽専門教科とトロンボーンを吹くことばっかり。

 

トロンボーンは一日どれくらい練習していましたか?

 

高校に入って夏休み前の最初の試験までは普通に練習してたんだけど、それでも5,6時間は練習してたと思う。みんなは経験者だけど先生は初めてトロンボーンを始めたでしょ?だから頑張んなきゃと思って5,6時間練習してて、最初の試験の時に成績が真ん中くらいだったの。その高校は面白くて一年から三年まで全員で順位が出る。それで真ん中くらいだったんだけど、あれ?始めて半年で真ん中?みたいな(笑)なのでそこからすごい練習し始めて、その夏休みくらいから一日8時間くらいは普通に吹いてたと思う。

 

そんなに練習する時間はあるのですか?

 

その高校は朝の7時から開いていて、もちろん授業が始まるまで練習出来た。学校が終わってから夜の9時半まで自由に練習ができるから十分。だいたい一日練習してると10時間くらいはできる高校だったので、練習時間だけはすごかったね。

 

それで一年の後期でリムスキー・コルサコフのコンチェルトを吹いたら成績が一番になったの(笑)楽器を始めて1年なのに音高で全校生徒の中で一番になって。だから高校3年間が一番練習したねきっと。ほんとに楽しくて、始めたばっかりだから少しづつ吹けるようになるじゃない?どんどんいろんなことができるようになって、ハイトーンも出るようになって、楽しくてしょうがなくて、高校生だもん!

 

音大は武蔵野音大に進学されましたが、なにか受験の準備はしましたか?

 

授業で受験に必要なピアノからソルフェージュから何から全部授業に入ってたから、高校の授業のなかで全部やっていたから
特にはやっていない。

 

音大に進んでからはどういう生活でしたか?

 

東京に出た瞬間から関根五郎先生(元N響)に連れていかれていろんなところに仕事に行っていた。まもなくして連れていかれたのがN響だったの(笑)いろんなとこに連れて行ってもらって、どんどん仕事が中心になって、学校に行くは行くけど全部練習しに行くだけ。授業は一年生からほとんど出ないで仕事ばっかりしていたね。1年生の秋には新星日本交響楽団に入っちゃったので(笑)

 

楽器を始めて3年ほどでプロオケに!オーディションの時のことは覚えていますか?

 

新生日本交響楽団に最初はエキストラとして行ったのね。1、2回行ったらトロンボーンを1人採るタイミングで、そこに在籍していた団員に君はどこか入るつもりはあるの?って聞かれたの。もちろん仕事しますっていう話をしたらうちに入らない?って言われて(笑)なんか気に入ってくれてて、だからオーディションはしてない。そのままオケに入って、そしたら隣にトランペット1番の元N響の津堅さんがいて、すごい恵まれててね。

 

18歳でプロオケに入るのは大変だと思いますが、苦労などはありましたか?

 

楽器を吹くのが好きだったから、オケに仕事に行っても楽しくてしょうがなくてそっちの方が大きかったから苦労はないね(笑)
次から次へと曲を勉強をするのは大変だったけど、苦労はしてない(笑)楽しいのが先だったね。

 

その頃の思い出はありますか?

 

新星に入る前もスタジオの仕事をしていて、夜はキャバレーにジャズを吹きに行ったりとか、ほんとにいろんな仕事をしていたので、オケに入ってからもそういう仕事と両立していた。忙しくしているっていうイメージが一番強いね。朝はオケの練習に行って、午後からスタジオに行って、夜はキャバレーに行ってって感じで。

 

休む時間もなかったんですね。

 

でもほんとに楽しくてね、18歳の坊主だから経験したくてしょうがない、何でもやりたいみたいな時期だったから楽しかったよ。

 

新星日本交響楽団には何年くらい在籍したのですか?

 

4年くらいいたかな。

 

差し支えなければ辞めた理由を教えていただけますか?

 

東京ブラスアンサンブルっていう団体に大学4年になるぐらいに呼ばれたの。それで行ったら入らないか?って言われて(笑)そして東京ブラスアンサンブルに入って、アンサンブル活動をすごくたくさんしていたし、梶本音楽事務所にも入っていてソロ活動もしていたのね。ちょっとオケは稼げないし(笑)ちょっとオケは辞めようかってことになって、アンサンブル活動とソロ活動を中心に仕事をするようになった。そういう理由で一回オケを辞めたの。

 

現代音楽もスタジオもアンサンブルもソロもたくさんの仕事があって、たまたまみんな仕事をくれたんだけどそっちをやりたくて。どうしてもオケをやっていると拘束時間が長いので、やりたい仕事ができないとかあって。

 

フリーでやっていたのはどれくらいの期間ですか?

 

23,4から30歳ちょいすぎまで、6,7年くらいかな。オケももちろん吹いてたけど、フリーだからいろんなオケに行けるのでかえって楽しかったよ。東京中のオケ全部、もちろん東京じゃないオケもいろんなところにエキストラに行ってたね。

 

その頃にカルロス・クライバー指揮のミラノ・スカラ座のオペラにエキストラにも行ったのですか?

 

東京ブラスアンサンブルのメンバーでエキストラとして行ってたりしてたので。

 

その時はクライバーとドミンゴの二人にたまげてしまって(笑)音楽家ってこうなんだって教えられたね。その時はオテロをやっていたんだけど、ドミンゴは練習に来ないわけね。ゲネプロもほとんど歌わないし、本番しか来ない人なので。練習中クライバーはドミンゴの歌のパートを全部暗譜で歌いながら、暗譜で棒を振って一回もスコアを開かない。そのカッコよさと言ったらないよね!それで凄い的確に棒を振って、音楽はこうだよという棒を振る。奏者がそれを見て、こう感じて、そう吹いたらちゃんと音楽になるような指揮者。これが指揮者だって分かったね。この人だったらみんな尊敬するわって。これは世界が違う!ほんとの指揮者はこうなんだって教えてくれたね。

 

その時に歌っていたのがドミンゴで(笑)もう信じられないけど、ドミンゴが一声歌った瞬間何も聞こえなくなる。ドミンゴの声しか聞こえない。凄い声量と圧倒的な方向性。存在感がすごいんだよね。声量がオケをかき消すくらい大きいのも凄いけど、そうじゃなくて、その声が音楽はこうだよって示しているんだよね。
自分がフォルテッシモで吹いてても関係ない。音量なんてセーブしなくて良かったね(笑)

 

スカラ座の違う公演でバンダを吹いてる時に、イタリア人の合唱団だったのね。バンダで金管が10人くらいとバンダの合唱がいる時も、合唱が歌いだすとこっちがどれだけフォルテッシモで吹いても全然関係ない!声の方が全然大きい。日本人の声量のなさを痛感したよね。楽譜通り吹けばそうなる!あの人たちとやれば(笑)凄いよね、もちろんそれでハモるし。だから音楽が愛されるんだろうね。

 

東京のオケにエキストラに行った時の思い出はありますか?

 

ほんとに色々あるんだけど。よく覚えているのは突然都響から電話がかかってきて、明後日からボレロの仕事があるんだけど
吹いてくれない?って言われて。行ったら有名なフランス人の指揮者(ジャン・フルネ?)だったりとか。N響に行ってバストランペットでずっとソロを吹いたりとか、新日フィルでは宮下宣子さんが留学するので、代わりに一年近く新日フィルで1番吹いたりとかね。そういうおいしい仕事をたくさんしてた(笑)でもすごい勉強になるよね。新日フィルに行けばずっと小澤征爾のもとで1番トロンボーンを吹いてるし、都響に行ってもどこに行っても1番を吹いていたので。でもなんかボレロの仕事が多かったよね、みんなずるいよね(笑)

 

名フィルに初めて行くときもボレロだった。ちょうど五反田でN響の仕事をしている時にそのホールに名フィルから電話があって、すいません、来週ボレロがあるんで吹いていただけないですか?ってわざわざそこに電話かかってきたりとかね。そういう仕事が多かったね。ボレロでエキストラに行ってソロを吹くなんてとてもプレッシャーがかかるよね(笑)

 

フリーの期間を経て名フィルに入ったのは30過ぎくらいに?

 

31か32歳くらいかな?

 

名フィルに入った理由は?

 

そのボレロのエキストラに行ったところから、その時に常任が外山雄三さんだったんだけど、その後何回か難しい仕事だとか、大事な仕事の時に呼ばれるようになったの。何回か名フィルに行った時、外山さんと一緒に食事に行く機会があった。
うちのオケもトロンボーン困ってるんだよみたいな話をして、今度一人増やす予定があるんだけど誰かいい人を紹介してくれないかって外山さんに相談された。その時ちょうどプライベートな理由で、もう一回オケに入ろうかなと思っていた時期だったの。東京は人が多くて凄く嫌いで(笑)地方のオケに行こうかなと思ってたのちょうど。

 

その話を聞いた時自分ではだめですか?って聞いたら、お前はどこでも入れるんだから名古屋なんかに来るはずないだろ。冗談じゃなくて普通に人を探しているんだって言われて、冗談じゃないんです、いろんな事情があってほんとに入るつもりがあるんですって言ったら入れてくれたの。オーディションなしで。もちろん名フィルの金管セクション全員に聞いて、あいつだったらオーディションなくてもいいって言う話になって招聘入団で入ったの。だからオーケストラで1回もオーディションを受けてない(笑)まあたまたまチャンスに恵まれたんだけど。

 

入った当時の名フィルはどうでしたか?

 

まあ下手くそでね(笑)ずっと東京でN響とか読響とかでやっていたので、そこと比べると凄い下手だった。最初の頃はメンバーもあんまり上手な人も少ないし、だから結構大変だったよ。全然音は合わないし、音出ないみたいなことが多くて(笑)どんどんレベルは上がっていったけど。

 

名フィルで思い出に残っている指揮者などはいましたか?

 

指揮者?だいたい先生は指揮者嫌いなんで(笑)

でももちろん良い指揮者はいたよ。モーシェ・アツモンとかベルリンフィルを振ったりもしていたんだけど、すごくいい指揮者だったよ。

 

東京と名古屋は活動する上で何か違いはありましたか?

 

名フィルがレベルが低かったのもあるけど、自分の音楽的なレベルを保つのが大変だったね。全部自分でやらなければいけないので。ソロやったりアンサンブルやったりして、自分の演奏のレベルを絶対下げないようにってそれは気を付けてたね。それが一番大変だったかもね。

 

名古屋では大学で教えたりも?

 

名古屋に来てからは愛知県芸に行ったり、大垣女子短期大学音楽科とか名古屋音大とかいろんなとこに行くようになった。
まあたまたまみんな運よく声をかけてくれたの(笑)ほんとにそう。

 

名フィルを定年で退団されてから5年近く経ちますが、退団される前はどういう心境でしたか?

 

18歳から、正確に言うと高校1年からずっとオケをやっていたので、それから考えると45年くらいオケで吹いていたので
まあよくやったもんだな、もう十分やったねって感じで(笑)辞める時に最後の演奏会が第九だったんだけど、自分が第九を吹いた回数を勘定したもん。1000回に近かった!1000回だよ、第九の本番を!びっくりしたね(笑)それくらい長くオケをやってたの。昔は第九をたくさん演奏する機会があったし。

 

40年以上オケで吹く人はなかなかいなそうですよね?

 

しかも40年以上ほとんど1番で吹いてたからね。

 

ずっと首席で吹いてきて何か苦労はありましたか?

 

やっぱり歳をとってきて40過ぎたあたりから、体がどうしても思うように動かなくなってくる時期とか、体が変わってくる時期が一番大変だったかな。自分の奏法を直したりとかいろんなことをしなければいけなかったんで。でもそれ以外はないよ、ほとんど。オケ吹くのも何吹くのもとても好きだったから、ストレスはそんなになかったね。

 

オケを退団されてからはどんな活動をしていますか?

 

学校に教えに行くのはずっと続けているので。あとトロンボーンエンジェルスとかジャズ吹いたりとかソロ吹きに行ったりとかかな。

 

自由な時間は増えましたか?

 

前よりは全然増えたよ!前は一日仕事が1本2本だと楽っていう感じで、朝やって昼やって夜やって一日3本ずつぐらい仕事やっていることが結構多かった。一日仕事が一個でいいという感じだとすごく楽だよね(笑)一つの学校に行けばいいとかね。前は凄く忙しく仕事をしてたので。

 

今後のやりたいことや目標はありますか?

 

定年してからもだんだん自分のスタイルを変えたり、吹き方を変えたりしているのでもっと思ったように吹きたいし、楽器に対する可能性みたいのをもっと追及したいなとは思ってる。それが一番強いかな。

 

最後にトロンボーン吹いている学生やプロを目指す方にメッセージをお願いします。

 

この間も名古屋トロンボーン協会でコンペティションをやって、最近の若い子たちの演奏を審査する機会もあったんだけど、まあ最近の子は音楽がない!楽器を吹くのが上手なのと音楽をするのをはき違えてるみたいな子がとても多くて、感動しない演奏がとても多い。演奏を聴いたら音の良さでも音楽でも感動するように音楽ができるようになってほしいなと思うね。最近そういう人がすごく少ないので。

 

もしも自分の音で人を感動させられたらすぐプロになれますよね(笑)最近はすごく良く思う。

 

昔とは変わってきましたか?

 

そうだね、やっぱり吹奏楽が悪いと思うんだけど。ピッチ合わせて縦の線合わせて、みんなで合わせて同じことをやる。何回やっても同じことをやるみたいな非人間的なことをやらされるので、それで音楽がなくなっていったのかなっていう気がするね。

 

音で感動させられる人が増えればいいですね。

 

本当ですね。そうしたら聴いている方も凄く感動があると思うし、音楽をもっともっと楽しめるし(笑)

 

今日は本当にありがとうございました。