東京都交響楽団
ホルン奏者
鈴木 優
Yu Suzuki
群馬県出身。東京藝術大学卒業。
2014年ヤマハ新人演奏会に出演。Menagerie Brass Quintetとして第10回チェジュ国際金管楽器コンクール金管五重奏部門第1位を受賞。
ホルンを高橋臣宜、守山光三、日高剛、西條貴人、伴野涼介、五十畑勉の各氏に師事。
Menagerie Brass Quintet、Cor Ensemble VENUS、ALEXANDER HORN ENSEMBLE JAPAN、The Horn Square、つの笛集団メンバー。
東京藝術大学管弦楽研究部非常勤講師(芸大フィルハーモニアホルン奏者)、東京交響楽団を経て現在、東京都交響楽団団員。
・使用楽器&マウスピース
Alexander 103
オリジナルシュミット 85
鈴木さんにはツイッターで声をかけさせていただき、インタビューをさせていただくことになりました。
池袋で1時間程度、自身の歩んでこられた人生についてお話いただきました。
ゲーム好きということで、いろいろゲームの話もしましたし、おすすめのゲームも教えていただけました。今ではだいぶハマっています(笑)。
2019年2月25日 池袋にて
楽器を始めたきっかけを教えてください。
親が柔道の先生だったので、小学校6年間は柔道をやっていたんです。小学校も吹奏楽部はあったんですけど、カラーガード部と言う旗を使って吹奏楽に合わせて演技をする部活に入っていました。
ずっと吹奏楽部が後ろで吹いてるのを感じていたこともあり、柔道も一刻も早くやめたかったので(笑)、中学に入ったら絶対楽器をやろうと思っていましたね。その当時はクラリネットがやりたかったので。
柔道をやめることに関して、親から何か言われませんでしたか?
やっぱり寂しかったみたいです。オリンピックに出させたかったみたいですけど、私は全然好きじゃなかったので(笑)。でも、親が止めたりすることは一切なかったです。
最初はクラリネットがやりたかったのですね。
本当にその当時は夢に出てくるくらいクラリネットがやりたくて、中学の体験入部の時に吹奏楽部に毎日通ってクラリネットを吹いてアピールしたんですよ(笑)。でも、同学年に小学生からやっていた子がいて、その子がそのままクラリネットをやることになってしまって。
私は人が足りていないホルンにさせられました(笑)。最初は一音も出なかったんですよ。体験入部の時にホルンも吹いてみようよと促されたのですが、マウスピースでも音が一切出なかったですし、マウスピースで出ないものが楽器をつけても出るはずがなく。プスーみたいな感じで。これでホルンは向いていないということがみんな分かっただろうなと思って安心していたんですけど、結局人数の関係でホルンになっちゃって。初めての挫折でしたね(笑) 。
その頃吹奏楽部は何人くらいいたのですか?
中学生の時はすごく少なくて、1年生の時は20人ぐらいしかいなかったです。同学年は5人しかいなくて、しかも3人は男の子でした。
ホルン以外の選択肢はなかったのですか?
ほとんど小学校からやってきた子ばかりだったので、みんなそのまま配置されちゃって。私は特に足りていないホルンに入った感じでした。先輩も一人しかいなくて。
コンクールには出ていましたか?
中学校は県大会で金賞を取ったり、
高校の進学についてはどのように決めたのですか?
その時はプロになろうという意思はあまりなかったと?
全くなかったです(笑) 。楽器は続けたいなと思っていましたが、
高校の吹奏楽部はどのような部活でしたか?
当時は県大会で金賞を取るということがなかなかなくて、
音大に進学しようと思ったのはいつ頃からですか?
受験の準備もその頃から始めていたのですか?
高校1年生からですね。
ピアノとソルフェージュはいつ頃から始めましたか?
高校3年生になってからかな。追い込みという感じでした。
元々ピアノは習っていたのですか?
部活と受験の準備の両立は大変ではなかったですか?
今考えるとすごく大変だったなと思います。
You Tubeに上がっている演奏は高校生の頃のものですよね?
高校3年生の春くらいですね。吉田先生の紹介で「
藝大の試験の日のことは覚えていますか?
自分がどんな演奏したかというのは緊張であまり覚えていないので
ピアノの試験はいろんなレベルの人がいるという話を以前聞きましたが。
すごく差があると思います。私の前の子がサックスの子だったんですけど、聞こえてくる音階がすごくテンポが速くて、私のテンポと全然違う‼と思って焦ったのは覚えています。
筆記試験はすごく勉強したので、わりと出来たかなとは思います。実技に関しては、2次試験は楽しかったのは覚えています。
伴奏のピアノの方がとても素晴らしくて、こんなに吹きやすいんだと当時思いました。
伴奏の方とは試験で初めて合わせるのですか?
そうなんです。遠藤直子さんという方で、
群馬から東京に来て試験を受けるのは大変ではなかったですか?
その当時、いとこが江古田に住んでいたので、その家に泊まらせてもらって試験を受けていました。リラックスも出来て、話し相手もいて寂しくなかったので(笑)、すごく良かったかなと思います。
藝大に入ってからの生活はどうでしたか?
衝撃的でしたね。
初めての東京暮らしの方はどうでしたか?
電車が一番びっくりしました。最初の頃、山手線の時刻表を調べたんですよ。そうしたら時刻表とかなくて、2分から3分間隔で発車しますと書いてあったので本当にそれが衝撃的で。
あとコンビニが近くにあるというのも感動しましたね(笑)。最初は赤羽に住んでいたんですけど、家の隣にコンビニがあったんですよ‼今ではそれが普通ですけど、歩いてコンビニに行けるのが嬉しくて。
当時は地元の隣町にローソンが出来たと聞いたので行ってみたら、レジに行列ができるくらい貴重なものでした。地元が同じだった友達と一緒に上京してルームシェアをしたんですけど、その話で友達とすごく盛り上がったのは覚えています(笑)。
どのような大学生活を送りましたか?
1年生の時は授業が多かったので、
いつ頃から仕事をもらうようになりましたか?
大学3年生の時に初めてプロのオーケストラにエキストラで呼んで
オケのオーディションはいつ頃から受け始めたのですか?
3年生からです。
オケに所属できるようになるまでは6.
全て下吹きで受けたのですか?
そうですね。私は下でしか受けたことがないですね。
大学の中で上吹き、下吹きが決まったりするんですか?
大体の方が学生の時にどちらかに決めているとは思います。
いつ頃から下吹きを意識していましたか?
学生の頃から低音域が得意だったのですか?
得意だとは思っていなかったのですが、
卒業してからは藝大フィルに入られたのですよね?
藝大を卒業した年の4月なので、22歳の時ですね。
藝大フィルではどんな活動をされたのですか?
その後、東響に入られたとのことですが、オーデションの時のことは覚えていますか?
試用期間に入られてからはプレッシャーはありましたか?
あまり気にしないようにとは思っていました。東響の皆さんがすごく暖かくて、「何も気にすることないからね。」と声をかけていただけたので、嫌なプレッシャーを感じることなく演奏できる環境だったかなと思います。
東響で思い出に残っている演奏会はありますか?
ジョナサン・ノットとはヨーロッパでも演奏しましたよね?
ヨーロッパツアーもすごく良い思い出です。5カ国まわったのですが、ノットと東響の演奏をいろんな国の方に聞いて頂けたのは凄く嬉し
自由時間などはあったのですか?
ありましたよ。観光もしましたが、
現在は都響に移籍されたということですが。
去年の8月に東響を退団して、9月から都響の試用期間でした。
オーディションは慣れるものですか?
何回受けても緊張する度合いは一緒ですね(笑)
オケの雰囲気などの違いはありますか?
今後の抱負ややりたいことはありますか?
オケ以外に室内楽もすごく好きなので、室内楽の演奏会とかも積極的に行なっていけたらなと思います。メナジェリー・ブラス・クインテットという金管5重奏を組んでいて、チェジュの国際コンクールでありがたいことに1位をとらせていただきました。まだ演奏会自体は2回ぐらいしかできていないので、その活動もやっていきたいと思います。
その他にも今度の5月にホルントリオの演奏会もやらせていただくことになりました。
ホルンアンサンブルに関しては、つの笛集団やアレキサンダーホルンアンサンブルのメンバーとしても活動させていただいています。今後は室内楽をもっといろんな編成でやっていきたいなと思っています。
ホルンを吹いている学生やプロを目指している方にメッセージがあればお願いします。
私もまだまだ若造なので言えた身分ではないですが、
本日はありがとうございました。