東京都交響楽団

ホルン奏者

鈴木 優

Yu  Suzuki

 

群馬県出身。東京藝術大学卒業。
2014年ヤマハ新人演奏会に出演。Menagerie Brass Quintetとして第10回チェジュ国際金管楽器コンクール金管五重奏部門第1位を受賞。
ホルンを高橋臣宜、守山光三、日高剛、西條貴人、伴野涼介、五十畑勉の各氏に師事。
Menagerie Brass Quintet、Cor Ensemble VENUS、ALEXANDER HORN ENSEMBLE JAPAN、The Horn Square、つの笛集団メンバー。
東京藝術大学管弦楽研究部非常勤講師(芸大フィルハーモニアホルン奏者)、東京交響楽団を経て現在、東京都交響楽団団員。


・使用楽器&マウスピース

    Alexander 103

 オリジナルシュミット 85


ギャラリー


アンケート


Q1.出身は? 
群馬県
Q2.血液型は? 
O型
Q3.星座は? 
蟹座
Q4.好きな食べ物は? 
ありすぎて絞れません…
Q5.嫌いな食べ物は? 
レバー、ピータン、ドリアン
Q6.趣味は? 
ゲーム、映画鑑賞、お笑い鑑賞
Q7.周りからなんて呼ばれてる?
ゆうちゃん、ちゃんゆう
Q8.休日は何してる? 
大体ゲームをしています。
Q9.1ヶ月休みがあったら何をする?
海外旅行へ行く!
Q10.よく行くスポットは? 
カラオケ
Q11.好きな芸能人は? 
とんねるず
Q12.カラオケの18番は?
山口百恵のプレイバックpart2
Q13.宝くじで100万円当たりました。どうする?
引っ越します!
Q14.楽器歴何年目? 
16年目
Q15.オケ歴何年目? 
6年目
Q16.好きな作曲家は?
ラフマニノフ、ブラームス
Q17.苦手な作曲家は?その理由は? 
聴くだけなら苦手な作曲家は特にいません!
Q18.好きなクラシックの曲は? 
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番
Q19.本番前はどう過ごす? 
音出しをしています!
Q20.本番前はご飯を食べる?食べない? 
食べます!
Q21.本番が終わりました。飲む?飲まない?
大変な曲を終えた時は飲みます!
Q22.生まれ変わりました。次はどんな仕事をしてみたい? 
弁護士
Q23.自分の楽器以外で演奏してみたい楽器は?
ドラム、チェロ
Q24.住んでみたい国は?
フィンランド
Q25.好きなオーケストラは? 
たくさんあります!
Q26.憧れの音楽家は?
たくさんいます!
Q27.演奏会当日、緊張する?しない? 
必ずします!笑
Q28.演奏会でのハプニングや失敗談はある? 
ロータリーが止まりかけたことがあります。
ちゃんとメンテナンスします…。
Q29.思い出の本番は?
沢山ありますが、学生の時に守山先生に連れて行って頂いたウィーンの教会での演奏会。東日本大地震の後で、song for JAPANを演奏しました。
お客さんが泣きながら聴いて下さったのを今でも鮮明に覚えています。
Q30.好きな指揮者は? 
マリス・ヤンソンス
Q31.指揮者の解釈が納得いきません。どうする? 
指揮者の解釈にどれだけ添うことが出来るか考えているので、そのようなことはありません…。
Q32.指揮者が指揮を振り間違えました。どうする? 
困ります。笑
Q33.本番中、客席に美人、またはイケメンを見つけてしまいました。どうする? 
そこまでの余裕がないので、恐らく見つけられないと思います。笑
Q34.音楽家として気を付けてることは? 
感謝の気持ち、向上心。
Q35.所属するオケはどんなオケ?
同じ方向を向いて音楽を作れる素晴らしいオーケストラです。
Q36.明日世界が終わります。どうする? 
家で静かに過ごします…。
Q37.音楽ファンに一言。
是非生の音楽を聴きにホールへ足を運んで頂きたいです!

 



インタビュー


鈴木さんにはツイッターで声をかけさせていただき、インタビューをさせていただくことになりました。

池袋で1時間程度、自身の歩んでこられた人生についてお話いただきました。

ゲーム好きということで、いろいろゲームの話もしましたし、おすすめのゲームも教えていただけました。今ではだいぶハマっています(笑)。


 

2019年2月25日 池袋にて

 

 

楽器を始めたきっかけを教えてください。

 

親が柔道の先生だったので、小学校6年間は柔道をやっていたんです。小学校も吹奏楽部はあったんですけど、カラーガード部と言う旗を使って吹奏楽に合わせて演技をする部活に入っていました。

 

ずっと吹奏楽部が後ろで吹いてるのを感じていたこともあり、柔道も一刻も早くやめたかったので(笑)、中学に入ったら絶対楽器をやろうと思っていましたね。その当時はクラリネットがやりたかったので。

 

柔道をやめることに関して、親から何か言われませんでしたか?

 

やっぱり寂しかったみたいです。オリンピックに出させたかったみたいですけど、私は全然好きじゃなかったので(笑)。でも、親が止めたりすることは一切なかったです。

 

最初はクラリネットがやりたかったのですね。

 

本当にその当時は夢に出てくるくらいクラリネットがやりたくて、中学の体験入部の時に吹奏楽部に毎日通ってクラリネットを吹いてアピールしたんですよ(笑)。でも、同学年に小学生からやっていた子がいて、その子がそのままクラリネットをやることになってしまって。

 

私は人が足りていないホルンにさせられました(笑)。最初は一音も出なかったんですよ。体験入部の時にホルンも吹いてみようよと促されたのですが、マウスピースでも音が一切出なかったですし、マウスピースで出ないものが楽器をつけても出るはずがなく。プスーみたいな感じで。これでホルンは向いていないということがみんな分かっただろうなと思って安心していたんですけど、結局人数の関係でホルンになっちゃって。初めての挫折でしたね(笑) 。

 

その頃吹奏楽部は何人くらいいたのですか?

 

中学生の時はすごく少なくて、1年生の時は20人ぐらいしかいなかったです。同学年は5人しかいなくて、しかも3人は男の子でした。

 

ホルン以外の選択肢はなかったのですか?

 

ほとんど小学校からやってきた子ばかりだったので、みんなそのまま配置されちゃって。私は特に足りていないホルンに入った感じでした。先輩も一人しかいなくて。

 

コンクールには出ていましたか?

 

中学校は県大会で金賞を取ったり、西関東大会に行ったりしていました。スパルタな部活で先生も先輩も厳しかったので、怒られたくない一心で練習している感じでした(笑)。

 

高校の進学についてはどのように決めたのですか?

 

健大高崎の吹奏楽部の顧問をされている吉田宏昭先生が、新星日本交響楽団(後に東京フィルハーモニー交響楽団と合併)で15年程ホルン奏者として活動されていた方だったんです。その方が中学校の顧問の先生と知り合いで、レッスンにいらして下さっていたんです。中学3年生の時に「もしプロになりたいんだったら、推薦するからうちの高校はどうだ?」と声をかけていただいて。それまでは群馬県の強豪校に行こうと思っていたんですけど、私は勉強ができなかったので、推薦で入れるならありがたいなと思って(笑)。
 
まだプロがどういうものか理解もきちんとできていなかったと思いますが、推薦という言葉に惹かれて(笑)、その高校に行くことにしました。

 

その時はプロになろうという意思はあまりなかったと?

 

全くなかったです(笑) 。楽器は続けたいなと思っていましたが、プロになるというのは頭の片隅にもなかったと言うか…。その当時の夢は保育士さんでしたから(笑)。

 

高校の吹奏楽部はどのような部活でしたか?

 

当時は県大会で金賞を取るということがなかなかなくて、いわゆる強豪校と呼ばれるような学校ではなかったですね。今はレベルが上がってきているみたいですけど、私がいた時はわりと和気あいあいと楽しんでやる感じの部活でした。なので中学とすごくギャップがありましたね。そのぶん自分の練習に打ち込むことができました。高校は部活が終わってから個人練習をできる時間が取れたので、その点は良かったかなと思います。

 

音大に進学しようと思ったのはいつ頃からですか?

 

顧問の吉田先生が藝大を進めてくださったことがきっかけです。現在東京フィルに在籍されていますが、当時群馬交響楽団に在籍されていた高橋臣宜先生を紹介してくださいまして、習うようになったんです。高校1年生の時ですね。高橋先生の演奏を聞いた時に、こんな音がホルンで出るんだと感銘を受けたんです。先生から招待券を頂いて演奏会にも行くようになり、高橋先生の出身校が藝大だったので、憧れが強まっていったという感じですね。
 
オケの世界を全然知らなかった私に、先生が様々なCDを貸してくださったり、演奏会に招待いただくうちにオケマンってかっこいいなと思い始めました。藝大を目指したいという気持ちは高校2年生の時には固まっていましたね。

 

受験の準備もその頃から始めていたのですか?

 

高校1年生からですね。ピアノやソルフェージュはもうちょっと後になってしまったんですけど、楽器に関しては高橋先生が受験を見据えたレッスンどころか、プロになるためのレッスンをしてくださっていたなと思います。

 

ピアノとソルフェージュはいつ頃から始めましたか?

 

高校3年生になってからかな。追い込みという感じでした。もっと早くに始めていればあんなことにはならなかったと思うんですけど(笑)。こんなの無理だ!という感じで、半ばやけくそに後半はなっていました。もっと早くに準備しておけばよかったなと思います。

 

元々ピアノは習っていたのですか?

 

2、3歳の時に数年やっていたくらいです。でも、家にピアノはなかったので、週に1回先生のところで弾くぐらいでした。小学校に入ってからはほとんど弾いていない状態でしたね。ト音記号が読めるくらいのところで記憶は止まっていました(笑)。なのでピアノは初心者に近いような形でした。音階を弾くのもやっとでしたし、あのままちゃんと続けていれば良かったなと思います。

 

部活と受験の準備の両立は大変ではなかったですか?

 

今考えるとすごく大変だったなと思います。部活が終わってからスクールバスがなくなる時間まで受験に向けての練習をして、顧問の吉田先生がほぼ毎日駅まで送ってくださりました。朝は5時台の電車に乗って、夜も終電で帰ってましたね。終電と言っても21時なんですけど(笑)。親が私の学力を心配していたので、塾にも通っていましたし。当時私は高校生なので体力がありましたけど、今考えると支えてくれた両親がすごいなと思いますね。

 

You Tubeに上がっている演奏は高校生の頃のものですよね?

 

高校3年生の春くらいですね。吉田先生の紹介で「こういうテレビ番組の企画があるんだけど、ソロコンもあるし度胸試しにどうだ?」とお声がけ下さって。でも、あんなに大きな規模の番組で、オーケストラをバックに演奏するというのが当時はピンと来ていませんでした。今となっては多くの方に知っていただくきっかけにもなったので、あんなに贅沢な経験をさせて頂いたことに感謝しています。

 

藝大の試験の日のことは覚えていますか?

 

自分がどんな演奏したかというのは緊張であまり覚えていないのですが、試験会場の雰囲気とか当時の同級生の感じはすごく覚えていますね。特に3次試験がソルフェージュとピアノの試験なんですけど、それはすごく鮮明に覚えています(笑)。あまりに弾けてなくてピアノの試験では先生方がちょっと笑っていました(笑)。やっぱり追い込みでできるものではないですね。

 

ピアノの試験はいろんなレベルの人がいるという話を以前聞きましたが。

 

すごく差があると思います。私の前の子がサックスの子だったんですけど、聞こえてくる音階がすごくテンポが速くて、私のテンポと全然違う‼と思って焦ったのは覚えています。

 

筆記試験はすごく勉強したので、わりと出来たかなとは思います。実技に関しては、2次試験は楽しかったのは覚えています。
伴奏のピアノの方がとても素晴らしくて、こんなに吹きやすいんだと当時思いました。

 

伴奏の方とは試験で初めて合わせるのですか?

 

そうなんです。遠藤直子さんという方で、今でもすごくお世話になっています。当日試験前にちょっと打ち合わせをして吹くのですが、プロの人と共演するとこんなに心地よく吹けるのかと感動して、楽しんで吹くことができました。

 

群馬から東京に来て試験を受けるのは大変ではなかったですか?

 

その当時、いとこが江古田に住んでいたので、その家に泊まらせてもらって試験を受けていました。リラックスも出来て、話し相手もいて寂しくなかったので(笑)、すごく良かったかなと思います。

 

藝大に入ってからの生活はどうでしたか?

 

衝撃的でしたね。こんなにホルンが上手い人たちが同世代にいるんだと思って。自分が一番下手だと思って最初はかなり焦りました。

 

初めての東京暮らしの方はどうでしたか?

 

電車が一番びっくりしました。最初の頃、山手線の時刻表を調べたんですよ。そうしたら時刻表とかなくて、2分から3分間隔で発車しますと書いてあったので本当にそれが衝撃的で。

 

あとコンビニが近くにあるというのも感動しましたね(笑)。最初は赤羽に住んでいたんですけど、家の隣にコンビニがあったんですよ‼今ではそれが普通ですけど、歩いてコンビニに行けるのが嬉しくて。

 

当時は地元の隣町にローソンが出来たと聞いたので行ってみたら、レジに行列ができるくらい貴重なものでした。地元が同じだった友達と一緒に上京してルームシェアをしたんですけど、その話で友達とすごく盛り上がったのは覚えています(笑)。

 

どのような大学生活を送りましたか?

 

1年生の時は授業が多かったので、朝大学に行って授業を受けてから練習をするという感じです。入りたての頃はほぼ1日学校にいたんじゃないかなと思います。上の学年に行くとだんだん授業が少なくなってくるので、楽器を練習する時間が増えていったと思います。徐々に仕事を頂けるようになって、生活の感じは4年間でだいぶ変わってきましたね。

 

いつ頃から仕事をもらうようになりましたか?

 

大学3年生の時に初めてプロのオーケストラにエキストラで呼んでいただきました。その頃から少しづつお仕事をさせて頂いていました。

 

オケのオーディションはいつ頃から受け始めたのですか?

 

3年生からです。ありがたいことにチャンスがたくさんあったので、何回も受けて何回も落ちてという感じでした(笑)。

オケに所属できるようになるまでは6.7回は受けていたかなと思います。

 

全て下吹きで受けたのですか?

 

そうですね。私は下でしか受けたことがないですね。

 

大学の中で上吹き、下吹きが決まったりするんですか?

 

大体の方が学生の時にどちらかに決めているとは思います。

 

いつ頃から下吹きを意識していましたか?

 

私は高校生の時から高橋先生に「鈴木は下で行った方がうまくいくと思う。」とアドバイスを頂いていたので、その当時は上吹き、下吹きという区別も分かっていなかったのですが、低音中心のエチュードを練習していました。大学に入ってからも頭の片隅で私は下吹きなんだと思っていたので、高校生の時には意識していたのかもしれません。

 

学生の頃から低音域が得意だったのですか?

 

得意だとは思っていなかったのですが、大学に入ってアンサンブルやオーケストラの授業などで、みんなと一緒に演奏する時も下で吹く方が楽しかったですし、自分の中でもしっくりくるというのはありました。

 

卒業してからは藝大フィルに入られたのですよね?

 

藝大を卒業した年の4月なので、22歳の時ですね。卒業する直前にオーディションがあり、そこでありがたいことに合格し入団させて頂きました。

 

藝大フィルではどんな活動をされたのですか?

 

定期演奏会や合唱定期演奏会の他に、モーニング・コンサートと言って作曲、声楽、ピアノ、オルガン、弦楽、管打楽の各専攻科から選抜された優秀な学生がソリストとして、あるいは作曲家として、藝大フィルと共演するという演奏会もありました。モーニング・コンサートがあったので協奏曲を吹く機会が多かったです。卒業したてということもあり知らない曲ばかりでしたが、あれだけの協奏曲を演奏する機会があったのはすごくいい勉強になりましたね。

 

その後、東響に入られたとのことですが、オーデションの時のことは覚えていますか?

 

すごく良く覚えています。1次は自分の中でできることはできたかなという感じでした。そのオーディションで、私が舞台に入った時にホルンの大野雄太さんが手を振ってくださったんですよ(笑)。近い距離で手を振ってくださって、驚きましたが緊張が少しほぐれました。
 
2次はミューザ川崎でのオーディションだったんですけど、ホールで吹けたのがすごく心地よくて。最初はすごく緊張していたのですが、だんだんとホールの響きを自然と楽しめるようになったという印象でしたね。

 

試用期間に入られてからはプレッシャーはありましたか?

 

あまり気にしないようにとは思っていました。東響の皆さんがすごく暖かくて、「何も気にすることないからね。」と声をかけていただけたので、嫌なプレッシャーを感じることなく演奏できる環境だったかなと思います。

 

東響で思い出に残っている演奏会はありますか?

 

ジョナサン・ノット監督がすごく素晴らしい指揮者で、彼とブルックナーの交響曲第8番を演奏した時の演奏会は今でも鮮明に覚えていますし、一生忘れることのない演奏会だと思います。神が降りてくるというのはああいうことを言うんじゃないかなと思いましたね。オケ全体が高揚しているのを感じましたし、終わった後もその高揚感が続きました。演奏後に客席の興奮状態が伝わってくる感じも心地よかったですし、あのような演奏会はなかなかないんじゃないかなと思います。
 
ノットはオケのコントロールが上手くて、手のひらで転がされている感じが心地が良いと言うか(笑)。リハーサルもサクサク進んでいくんです。ゲネプロもさらっとやるのですが、ずれたところがあったとしてもやり直さなかったりするんです。演奏者の緊張感や集中力を高めるためにわざとゲネプロを長くやらないらしくて。いい緊張感に持っていくのが上手な指揮者で、奏者の精神状態もうまくコントロールされているんだなと思いますね。音楽の流れも本当に自然で、それに乗っかって演奏するという感じでした。ノットの下で演奏できたのはすごくいい経験だったなと思います。

 

ジョナサン・ノットとはヨーロッパでも演奏しましたよね?

 

ヨーロッパツアーもすごく良い思い出です。5カ国まわったのですが、ノットと東響の演奏をいろんな国の方に聞いて頂けたのは凄く嬉しかったです。入団してすぐだったのでオケの方との交流もできて、とても良い経験をさせて頂きました。それぞれの国の文化も肌で感じることができ、いい刺激を受けながら過ごしたツアーだったと思います。

 

自由時間などはあったのですか?

 

ありましたよ。観光もしましたが、飲みに行くのがメインだったかなと思います(笑)。ウィーンの街を着物で歩いたりもしました!(笑)。ホルンセクションは愉快な方が多くて、今年の1月からライブラリーをされている大和田さんが私に「これを着て一緒に歩こう!」と着物をプレゼントして下さって。皆さんとウィーンの街を着物で歩いたのは良い思い出です!すごく気持ちよかったです。

 

現在は都響に移籍されたということですが。

 

去年の8月に東響を退団して、9月から都響の試用期間でした。

 

オーディションは慣れるものですか?

 

何回受けても緊張する度合いは一緒ですね(笑)慣れると言うよりはある程度オーディションの空気が想像できるようになるので、対策を練ることはできるようになっていくかもしれません。受けないと分からないことも沢山あるので、何度もオーディションを受けられるチャンスがあって良かったなと思います。オーディション独特の空気感はコンクールとも違いますし、オケの本番とも違いますからね。

 

オケの雰囲気などの違いはありますか?

 

違うと思います。どこがいいとか悪いとかではなく、カラーが違うかなと思います。
都響では西條先生は学生の時からレッスンを受けさせてもらっていて、五十畑さんは大学を卒業して東響を受けるオーディションの時からレッスンを受けている先生なので、先生達と一緒に吹くという良い緊張感の中で演奏しています。

 

今後の抱負ややりたいことはありますか?

 

オケ以外に室内楽もすごく好きなので、室内楽の演奏会とかも積極的に行なっていけたらなと思います。メナジェリー・ブラス・クインテットという金管5重奏を組んでいて、チェジュの国際コンクールでありがたいことに1位をとらせていただきました。まだ演奏会自体は2回ぐらいしかできていないので、その活動もやっていきたいと思います。

 

その他にも今度の5月にホルントリオの演奏会もやらせていただくことになりました。

ホルンアンサンブルに関しては、つの笛集団やアレキサンダーホルンアンサンブルのメンバーとしても活動させていただいています。今後は室内楽をもっといろんな編成でやっていきたいなと思っています。

 

ホルンを吹いている学生やプロを目指している方にメッセージがあればお願いします。

 

私もまだまだ若造なので言えた身分ではないですが、何事も積極的にチャレンジすることはすごく大事だなと思っています。自分の中でラインを決めずにどんどん挑戦することは、長い目で見てすごく大事なことだと思うので、私もそういう気持ちは忘れずにこれからもどんどん挑戦していきたいです。

 

本日はありがとうございました。