ブログ始めました。


はじめまして、ミュートロというサイトを運営しているすぎもんと言います。
ここではミュートロを立ち上げたきっかけや現在に至るまでの過程、また演奏会や音楽に関することについて書いていこうと思います。


その前に簡単に私のことについて書いておきます。

 

新潟県の某所で生まれ育ち、音楽と出会ったのは姉も習っていたヴァイオリンを3歳の頃から習わされたことです。全くヴァイオリンに興味はなく、そんなに練習も熱心にやっていなかったので小学6年生の時にやめてしまいました。しかし、そのすぐ後に小学校に進学する中学校の吹奏楽部が演奏しに来てくれたんです。その中学は敏腕のおばちゃんの先生が赴任してからずっとコンクール で県代表になっていた有名な学校で、演奏を聞いて感動した私は中学に入ったら吹奏楽部に入ろうと決意しました。

 

中学に進学し早速吹奏楽部に入りました。最初に決まったパートはサックスだったんです。しかし、色々あって2年生からトロンボーンに変更してもらいました。流石に強豪ということもあって部活の休みはお盆と正月くらいしかありませんでしたが、音楽に打ち込んでいたのでそれが全く苦ではありませんでしたし、毎日楽器を吹いていて楽しかった記憶があります。私が入ってからもなんとか3年連続県代表になりまして、3年間コンクールメンバーとして西関東大会で演奏させていただきました。私が3年の時に顧問の先生もちょうど最後の年で、 お世話になった先生になんとかいい思いをさせたいというみんなの頑張りもあり初めて西関東大会で金賞を取ることができました。

 

高校でも吹奏楽がやりたかったので、部活推薦でこれまた吹奏楽の強豪校に入りました。一応私立の進学校だったので、基本日曜日は部活は休みだったと思います。ここでそれまで吹奏楽一筋だった私の心境に変化がありました。

 

高校3年生の夏前頃、コンクールの練習に明け暮れていましたが縦や音程など技術的なことばかりひたすら練習することに嫌気がさしていました。もちろんコンクールなので上の賞を取るためにはある程度仕方がないことなのですが。ちょうどその時に当時放送していたN響アワーで、マ ーラーの交響曲第5番の第4楽章アダージェットが流れたんです。その弦楽器だけの儚く美しい線の細い響きを聴いて、これは吹奏楽では絶対に表現できないものだと悟り、大学に入ったら絶対オーケストラに入ろうと決めた瞬間でした。オケを好きになったのはマーラーのおかげです。

 

その3年の夏のコンクールでローマの祭りを演奏したのですが、西関東大会で埼玉に遠征したら本番前にものすごく唇が乾燥してしまったんです。それまで練習でもほとんど音を外すことはなかったのですが、本番前にたまらずリップクリームを塗ってしまい課題曲の最初の音からスカーっと音が出ませんでした。なんとか頑張って吹いたのですが、ローマの有名な酔っ払いのソロも あまり上手く吹けず、終わった後は放心状態でした(笑)もう楽器なんかやめてしまおうと当時は思ったくらい落ち込みましたが、わりとすぐに立ち直れました。

 

そんなこんなで3年の夏が終わり、受験シーズンになったのですが全く受験勉強をしていませんでした。そんな時に担任のおばちゃんの先生からとある新潟の大学の推薦を受けてみない?と聞かれました。なんとなく東京の大学に行きたいと思っていましたが、親に負担をかけたくないこととその大学にオケがあったのでまあいいかと思い推薦を受けさせていただきました。推薦を受けれたのは部活を熱心に頑張っていたことと、担任が数学の担当で私自身が数学だけは良い成績をずっと取って いたのでかなり気に入ってもらえてたからだと思います。他の勉強はたいしてやっていませんでしたが、部活もしっかりやっていればちゃんと評価してくれていたんだなと思い今でも先生方には感謝しています。普通に受験したら絶対無理だったので(笑)

 

そして無事に大学に受かり大学生活が始まりました。キャンパス内にオーケストラの先輩達が勧誘しているスペースがあり、そこに入団するまで毎日のように遊びに行っていたのですが当時のコンマスの先輩と意気投合していまい、まだ入団してもいないのに学生指揮者になるかもと言われました(笑)案の定入団してすぐに指揮者に任命されて、指揮の練習が始まりました。
高校の時から指揮者に憧れがあっ たので嬉しかったのですが、当時好きだった指揮者のスヴェトラーノフとテンシュテットというアクの強い二人の影響を受けていたと思います。

 

そんなこんなでオケ生活がスタートしたのですが、管楽器のほとんどの人が吹奏楽上がりで学指揮の先輩方もみんなそうでした。普段の練習は学指揮が棒を振るのですが、それらの関係もあり吹奏楽と同じように縦や音程をひたすら合わせるみたいな
練習ばかりした。結局そうなるのかと愕然としましたが、とりあえず自分が指揮する時はもっと音楽を追求するようにしていこうと誓いました。当時は全く音楽のことを分かっていませんでしたが(笑)

 

個人的に思い出に残っているのは、2年生の時にスメタナのわが祖国全曲 を演奏することになり後半3曲の指揮をしたことです。最初は全く好きな曲ではなかったのですが、半年間練習しているとものすごく愛着がわき今でも大好きな曲です。管楽器も全て倍管で大人数をまとめるのは大変でしたが、先輩方のご協力もあり楽しく練習できました。

 

3年の時にはラフマニノフの交響曲第2番を指揮したのですが、これはトラウマになるほど大変でした。難しくて全然吹けない弾けないで練習が進まず、全体の雰囲気も最悪でした。ごめんなさい。そんな時にウィーンフィルのコンマスのライナー・ホーネックさんが指導しに来てくださりました。プログラムの最初のさまよえるオランダ人も見てくださったのですが、オランダ人は自分で 振るけどラフマニノフは振れないからお願いねと言われ、ホーネックさんの横で指揮をするはめになりました。ものすごく嫌だったのですが、練習前にホーネックさんの「Are you Toscanini?」という冗談でちょっと緊張がほどけました。ホーネックさんのレッスンでは、カラヤンはこう言っていたなど自身の経験からヒントをたくさんいただきました。前日には飲み会もありウィーンフィルの裏話などもたくさん聞けました。

 

そのずっと後、私が就職した後に読響の団員の方から聞いたのですが、ホーネックさんの身にあんなことが起きていたとは…

 

大学オケではパートごとに先生がレッスンしてくださっていますが、地方のわりにはすごい先生方が来てくださっています。トロンボーンは元名フィルの藤澤伸行先生、打楽器には新日フィルの首席ティンパニ奏者の近藤高顯先生、ホルンには元藝大教授の守山光三先生、チューバには東響の渡辺功 先生など。入った当時はどのくらいすごいのか全然分かっていませんでしたが、オケを長年にわたって牽引されてきた方々です。その先生方のレッスンなどで得た知識は、音楽も音楽以外のことでも私の人生でとても役に立っています。それはまた機会があれば書きたいと思います。この先生方と出会ったことでこのミュートロというサイトが出来たと言っても過言ではありません。本当にありがとうございました。

 

なんだかんだ理系だったので大学院にも進学して6年間ほど大学オケを楽しみました。そして就職を機に関東に出てきました。最初は横浜の鶴見というほとんど川崎みたいなところに住んでいたので、よくみなとみらいホールにも行っていました 。まだ24歳だったので25歳以下の割引で1500円で聴けるN響と日フィルにほぼ週2で通いましたし、給料ももらっていたのでちょっとお高いオケもたくさん聴きに行きました。

 

それから東京、千葉と色々あって移動しましたが今でもなるべくたくさんオケなどの演奏会には通っています。そして2016年の冬にミュートロを作り始めました。そのきっかけを書こうと思ったのですが、話が長くなったのでまた次回に書こうと思います。

 

よろしくお願いします。

 

すぎもん